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執筆者の写真温子 谷

ノーマライゼーション

"ノーマライゼーション" 難しい横文字です。意味を検索すると、


"ノーマライゼーションは、高齢者や障がい者などを排除するのではなく、健常者と同等に当たり前に生活できるような社会こそが、正常(ノーマル)な社会であるという考え方です。 そして、こうした正常(ノーマル)な社会を実現する取り組みをノーマライゼーションといいます。"


と出てきます。


私が障害者スポーツに携わるようになったのは、長女の影響が大きいです。

長女は、小学校入学前に療育手帳(知的障害)を取得しました。何か大きく困っていることがあった訳ではなかったんですが、今まで、同じ年齢の子に比べると言葉の表現が幼いなぁ〜とか、全然文字に興味を持たないなぁ〜と、感じる程度でした。仲の良い友人が目の障害で文字がぐにゃぐにゃして見えるものがあるらしいよ!もし、何かあったとしても、発見が早い方が適切に対応してあげられるよ!っと助言をくれたので、保育所の先生に相談し、検査を受ける事になり、知的障害が分かりました。

手帳を取得する際、「妊娠中のストレスが影響したのではないか?」「健康に生んであげられなくてごめん」などマイナスな気持ちになる事もありましたが、周りの方が「手帳があってもなくてもYちゃんはYちゃんでしょ!」と言ってくださる方ばかりで、同級生の子供達も今までと変わらず接してくれました。私にとって長女との生活が、今までノーマルな事であったように、周りの同級生や親、ご近所さんにとっても同じく、長女と関わる時間はノーマルと思って下さった事にとても救われました。


どこにいても、このノーマルが続けば良かったのですが、引っ越しで、住んでいる場所が変わると、娘と関わる人間関係も0からのスタートになりますし、手帳を持っている=障害がある。と言うことは、ノーマルでは、見てくれなくなる。と言う現実も引っ越しをして感じました。


長女が中学生になり、当時は必ず部活に入らなければならない時代だったので、数ある中から、長女は柔道部に入部を決めました。当然、ノーマルとして見てもらえないので、部活に入っても特別扱い。みんなと同じ様には活動させてもらえませんでした。もちろん、長女にも、もっと輪の中に入っていくコミュニケーション力など課題はある事も分かっています。でも、もっと指導の仕方って方法があるんじゃないか?別に障害があってもなくても教えて上げる事や教えないといけない事はみんな同じなのになぁと思っていました。


高校は、支援学校の高等部に進学しました。進学にあたり、私が率直に感じたのは、障害があるとこんなに選択肢が狭くなるのか、、、でした。


まず、とても辺鄙な場所にしか支援学校がない。自力通学するにも、公共のバスが朝・夕に1時間に1〜2本、昼間は運行すらない。公共のバスを乗り過ごした場合、駅からタクシーで通学して下さい。と学校から説明がありました。近所で徒歩か自転車で通学できる子以外は、ほとんどがスクールバスでの通学を選択しているとの事。


その次が、部活の数が少ない+自力通学でなければ入部できない。


障害があるって、こんなに不自由なんだ。と思いました。


そんな頃、たまたま職場の送迎で訪れた小学校に、障害者スポーツ指導員受講のお知らせが掲示されているのが目に入り、「これだ!!!」とすぐに受講希望を出しました。そこで、知的障害競技性チームのコーチと知り合い、練習に参加させてもらうようになりました。その頃、学校生活で壁にぶち当たり落ち込んでいた長女を気分転換にと練習の見学に連れて行くと、コーチや先輩メンバーが、「一緒にバスケやろうよ!次からバッシュ持っておいでな!」と声をかけてくれ、長女も「私もバスケやる!!」とバスケットボールを始める事になりました。


長女が3歳の頃、バスケ復帰をした私は、長女はおっとりマイペースなので、チーム競技のスポーツは不向きだろうなぁ〜っと思っていて、親子でバスケができるなんてあり得ないと思っていました。まさか長女とバスケをできる日が来るなんて思ってもみなかったんです😅


長女が知的バスケに一緒に通いだした頃、次女は小学校入学と同時にミニバスに入りたい!とミニバスに入部していたのですが、コーチとの折り合いが悪くミニバスを辞めてしまった時期でした。するとまたもや、「妹も一緒に連れてきてバスケしたらいいやん!!」と声をかけてもらい、あれよあれよと言う間に家族で知的バスケに参加する様になっていました。


知的障害のバスケチームに関わらせてもらう中で、私が感じたのは、


"障害があってもなくても何も変わりはない。"


です。確かに、伝え方に工夫がいったり、練習も動作を細分化してあげたりと、1つも2つも工夫をしないと、頭に入らない、工夫をしても、頭に入らないこともあるけど、どうしたら、その人ができるのか?理解できるのか?を一緒に考えたり、言葉でなく体現してみたりと色々時間はかかりますが、教える内容は、一般の学校や社会人チームでする事と同じです。


長女がいなかったら、私も障害者スポーツを知らないまま生きていたのかも知れません。長女がいてくれたので、今の出会いがあり、色々な経験ができました。私が目標にしたいのは、ノーマライズな世界です✨どんな人でも平等に自由に選択でき、幸せに生きていける世の中になって欲しい✨自分が大好きなバスケで、誰かの楽しいや幸せの選択肢が1つでも増えるように、娘たちが笑顔と元気をもらえたように、誰かが笑顔で元気になれるように!そんな居場所を作れたらと思い、ヤットーヤン神戸を立ち上げさせてもらいました。


これまで、私達親子を支えて下さった方々、今も見守り応援して下さっている沢山の方々に、感謝の気持ちを忘れずに、常に進化し続けられる人になれるようチームと共に成長していけたらと思っています。




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